直近の記事では、2026年の新規定による厳しいエネルギーマネジメントレースに対し、ポジティブな側面を強調してきた。確かにSoC(State of Charge:バッテリーの充電状態)の差によって抜きつ抜かれつのバトルが生まれるのは、独特の頭脳戦の面白みがある。
だが「本当にこれで良いのだろうか?」という姿勢を持つことも重要だ。
そこで本稿では、あえて通常の客観的な分析的視点ではなく、ある意味で管理人の主観的な視点や希望を多く交え、理想のF1について考えてみたい。
1. 理想のF1
筆者にとって理想のF1の条件に以下のようなものがある。
- 鈴鹿の130Rやスパのオールージュ〜ラディオンを全開でクリアできず、ギリギリのアクセルコントロールが求められること。予選では完璧な走りを決めた(多くても)1~2名のみが全開でクリアできること。
- オーバーテイクが多いこと
- 戦略的要素があること
- チャレンジングなサーキットのみでの開催
- 甲高いエンジンサウンド
まず近代のF1では、コーナリング性能が高まり、かつて「チャレンジングなコーナー」とされていた鈴鹿の130Rやスパのオールージュ〜ラディオンが、「実質的なストレート」になってしまっている。これらのコーナーがチャレンジングであった時代を再来させたいのだ。
次に、オーバーテイクがある程度多いこと。これは必須だ。1990年代のレースを見返しても、やはり遅い車に引っ掛かってしまうと抜けずに、数珠繋ぎのレースとなってしまっているケースは非常に多い。ただし、DRSやOvertake Modeのように後方車に人為的にアドバンテージを与えるシステムは使いたくない。
また、オーバーテイクが多ければレースが面白いというものでもない。実際、筆者がF1に惹かれたきっかけは2005年のサンマリノGPであり、オーバーテイクはほぼ皆無だった。音楽ライブなどでも、2時間常に”魅せ場”だと、かえって注意が分散してしまい、ファンの記憶に残りにくい。緩急をつけながら、派手なシーンは数箇所に絞るのだ。それと同じことがF1にも言える。オーバーテイクはそれなりに難しい方が良い。だからこそ、一つのオーバーテイクに価値が生まれる。
また戦略的要素が無いと、レースとしては面白みが出ない。給油があった時代も、なしの時代も、それぞれ戦略を駆使して勝利を掴むレースには独特の面白さがある。
そして、商業的なカレンダーにも見直しが必要だ。バルセロナとスパのようなチャレンジングなサーキットでのグランプリが隔年開催になる一方で、商業的に価値のあるグランプリが幅を利かせている現状は、本来はあってはならないことだ。ましてやイモラやザンドフールトがカレンダーから去るなどということは、狂気の沙汰としか言えない。
また、昨今のV6ターボ・ハイブリッドに対して、V10やV12の時代を懐かしむ声をSNS上などでも多々見かける。筆者にとっても、高い優先順位とまではいかないが、やはりV10の音にはF1をF1たらしめる迫力を感じる。
では、これらを実現するための方向性を考えていこう。
2. 新時代のマシンの方向性
まず、新時代のマシンの方向性として以下のようなものを提案する。
- 95年レベルのストレート速度とコーナリング性能
- 最新技術を駆使し、タイヤ、足回り、デフ、シャシー剛性、ブレーキなどでグリップを稼ぐ
- ダウンフォースを削り、後方乱気流とそもそもの空力依存度を下げる
- 高ドラッグ化によりトゥの効果を高める
- パワーユニットはV10+KERS(2011~13年と同様のシステム)
前提として、トータルのパフォーマンスレベルを95年前後のものに近づける。車両重量もドライバーを含めて600kg前後と、当時に近づける。この辺りの年代だと、130Rやオールージュがチャレンジングなコーナーとして立ちはだかっていたからだ。そして速度域が高くなれば、それだけオーバーテイクの困難さは増し、ひとまずはこの辺りのパフォーマンスレベルをターゲットとするのが適切だと考えた。
そして、オーバーテイク促進のためには、とにかくグリップの空力依存の割合を下げることが重要だ。タイヤ、足回り、デフ、シャシー剛性、ブレーキなどは、現代の技術レベルならば、95年比で10~20%の総メカニカルグリップ向上に繋げられると考えられる。絶対的なコーナリング性能を維持する前提だと、そのぶんダウンフォースによるグリップを削ることになる。そしてこの場合、20~30%のダウンフォースを削減することになる。
重要なのは、ダウンフォースを削る際に、後方乱気流を生み出す部分を多く削ることだ。具体的には「前後ウイングや上モノの“汚いダウンフォース”を大きく削って、床下は最低限残す」という方向になる。総ダウンフォース量を30%削減するにしても、ウィング由来は50%削り、床下はほぼ95年レベルをキープする程度のものが望ましいだろう。
これらによって、後方乱気流そのものを10~20%抑えられるという読みだ。だが、それだけではない。グリップの空力依存度を減らしたことそのものが、後方乱気流によるグリップへの影響を弱めることになる。仮に後方乱気流でダウンフォースを20%失っても、もともとのダウンフォース依存度が低ければ、失う“総グリップ”の割合はもっと小さいからだ。
さらに2011~13年のKERSも搭載し、戦術性を付与する。これによって、「バックストレートで仕掛けると見せかけてKERSを温存し、本命はホームストレート」のように、戦術的なオーバーテイクも多少生まれやすくなる。また、リアタイヤのデグラデーションが進んだ車は、KERSを使えるポイントが一瞬後になるため、タイヤの差を作る戦略の有効性、それに伴うオーバーテイクの増加も期待できる。
ここまでで、オーバーテイクは20~30%増える見積もりだ。
そして更なるアイディアとして、マシンの高ドラッグ化がある。これによりトゥの影響を大きくするのだ。ただし、上モノを複雑化するのではなく、比較的シンプルな形状で少し非効率にする、あるいは車体全体でほどよく空気をつかむ方向にする必要がある。さもなくば、せっかく減らした後方乱気流を悪化させてしまう恐れがあるからだ。せいぜい10~15%程度のドラッグ増が現実的な所だろう。
これによってオーバーテイクは更に増え、95年比で30~50%の増加が期待できるという推定だ。
ちなみにドラッグを増やすことは、ストレートスピードが落ちることを意味する。よってスピードを保つためには、エンジンパワーを上げることとなり、このソリューションによって一層強力なエンジンサウンドが聴けることにも繋がる。
いずれにせよ、95年比で数十%のオーバーテイク増が見られれば、スポーツとしてはそれで十分である。2026年開幕3戦で見られたオーバーテイクの大安売りは必要ない。第1節にて記した通り、見せ場が多すぎると、かえってどれも印象に残りにくくなってしまう。ある程度難易度が高い中で、競技者が心技体を駆使して実現されるオーバーテイク、あるいは防戦側も同様に健闘することで実現されないオーバーテイク、そこに価値が生まれるのだ。
3. 新時代のレース運用
レースの運用の仕方も重要だ。
まず、前節でマシンについて考えたが、これでもトラックによってはオーバーテイクが難しいこともあるだろう。そのため、給油の解禁による戦略的多様性の復活と、それに伴う順位変動の増加も一つの有効な選択肢になると考えられる。さらに、重量差によるオーバーテイクも生まれやすくなるのも、良い点だ。そしてスティントの長さが燃料搭載量で決定される以上、「燃料が尽きるまでのペースを最大化する」走りが求められ、ロングスティント前提では昨今と変わらずタイヤマネジメントが重要になるかもしれないが、ショートスティントで複数回ストップを前提とする戦略では、ドライバーがより全開走行を続けることになる。1998年ハンガリーGPでシューマッハが見せたような鬼神の走りを、再び目にすることになるだろう。
また、複数回ピットストップをしやすくなるように、ピットレーンロスタイムの短縮(ピットレーンの短縮と制限速度の引き上げ)も検討すべきだろう。
さらに、公平性の点についても、改善の余地がある。昨今ではVSCやSC導入によってピット戦略上の不公平が生じ、運の要素(自分たちでコントロールできず再現性がない要素)が結果を左右することが、少なからずある。そこで、理想的なレース運営では、セーフティカーを廃止し、VSCのみの運用を考える。その上で、VSC中のピットストップを禁ずるのだ。こうすると、VSC導入は、単に周回が進むだけとなり、不運に見舞われるのは、「VSC導入時にピットに入りたかったが入れず、ピット入り口を通過した直後にVSCが解除された車」や「秒単位で追い上げていたが、VSC導入ラップでデルタが一定になってしまった車」などの特殊な例のみになる。しかもそのロスは大きなものにはならない。よって、こうした理想の方向性を見据えた上で、安全性をいかにして確保できるかを考える、というのも一つの手だろう。とはいえ、現状のテクノロジーレベルではSCの撤廃は安全上かなり厳しい。だからこそ第6節で述べる知能爆発や産業爆発の世界観が意味を持ってくる。
4. 新時代のカレンダー
またカレンダーの最適解の一つとして以下を提案する。国という枠組みを取り払うため、あえてサーキット名で記す。
- アルバート・パーク・サーキット(メルボルン)
- セパン・インターナショナル・サーキット
- アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ(イモラ)
- サーキット・デ・バルセロナ=カタルーニャ
- サーキット・ド・モナコ
- サーキット・ジル・ヴィルヌーヴ(モントリオール)
- ウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカ
- サーキット・ド・ヌヴェール・マニクール
- シルバーストーン・サーキット
- ブランズ・ハッチ
- レッドブル・リンク
- ニュルブルクリンク
- ホッケンハイムリンク・バーデン=ヴュルテンベルク(旧レイアウト)
- ハンガロリンク
- サーキット・ザントフォールト
- サーキット・ド・スパ=フランコルシャン
- アウトドローモ・ナツィオナーレ・モンツァ
- イスタンブール・パーク
- マリーナ・ベイ・ストリート・サーキット
- 鈴鹿サーキット
- サーキット・オブ・ジ・アメリカズ
- アウトードロモ・ジョゼ・カルロス・パーチェ(インテルラゴス)
以上23戦だ。
バクーについては安全性の観点でF1には相応しくないと考えたが、その点がクリアされるのであれば、毎年ルクレールが尖った走りを見せていることから、ドライバーが差を生み出せるトラックと言えるため、どこかに挿入しても良いかもしれない。同様の理由でジェッダも安全性の懸念がなくなれば良いトラックであると言えるだろう。
こうしたトラックでレースを続けることで、レースの醍醐味を最大化することができるだろう。
5. ドライバーにとってのチャレンジとファンにとっての興奮
ドライバーにとってのチャレンジングであることは、必ずしもファンにエキサイティングなレースを提供することにはならない。事実V10時代の終盤2004年のレースを見れば、オーバーテイクは現在とは比べ物にならないほど難しく、数珠繋ぎの動きのないレースも多々あった。
だが、ドライバーにとってのチャレンジとファンにとっての魅力は切っても切り離せない関係にある。
F1の面白さの一つに「ヘルメットをかぶって首から下も隠れているのに、考えていることや心理状態が手に取るように分かる」ということにある。逆説的に言えば、それは「ドライバーが鬼神の走りをしていれば、観ている側も鳥肌が立つ」「ドライバーが退屈しながら走っているレースでは観戦側の楽しみもスポイルされる」というものだ。
ここで重要なのが心理学のフローやクラッチという概念だ。
フローとは、マシンが体の一部になり、自動操縦で走り続ける状態だ。単独走行(クリーンエア)で周回を重ねている時や、リズムに乗って走っている時にこの状態に入る。ラップタイムが「機械」のように正確になり、努力している感覚はなく、リズムに乗って「ただ流れるように」走っている。その究極の例として、1988年モナコGP予選で2位以下に1.4秒以上の差をつけたセナの走りが挙げられるだろう。彼は後年、「意識を超えた次元にいた。まるでトンネルの中を走っているようで、自分がただの乗客のように感じた」と語っている。これは心理学でいう完璧な「フロー(自己意識の消失)」の描写だ。
一方のクラッチは、プレッシャーの中で、脳をフル回転させて限界を超える状態だ。予選Q3の最後のアタックラップや、レース終盤のギリギリのバトル(オーバーテイクや防衛)の時に発揮される。フローのような「無意識・リラックス」ではない。「あいつを絶対に抜く!」「このアタックを決める!」という強烈な意志のもと、ギアを無理やり一段階上げ、マシンをねじ伏せる。予選でポールポジションを獲った直後や、激しい防衛戦を制してチェッカーフラッグを受けた後、ドライバーが無線で「ハァハァ…」と荒い息を吐いたり、雄叫びを上げたりするのは、120%の力を意図的に絞り出した「クラッチ」の反動だ。このクラッチの良い例が、2021年サウジアラビアGP予選のフェルスタッペンの走りだろう。全てのコーナーで限界ギリギリの走りを見せ、巨匠アロンソも目を丸くして驚嘆した、あの伝説のアタックだ。
ここで先に述べた「ドライバーの心理状態は観客に伝わる」という視点に戻る。心理学的には情動伝染という概念であり、脳科学的にはミラーニューロンの働きだ。ミラーニューロンは、他人の行動や感情を見ているだけで、まるで自分がそれを体験しているかのように自分の脳内(運動野や感情を司る部位)が発火する神経細胞だ。これによって、2021年サウジアラビアGP予選のフェルスタッペンの走りを見て、手が冷たくなって汗をかき、心拍数が上がるのを感じられるのだ。これこそがスポーツのダイナミズムである。そして、今年のF1でそれを達成できるだろうか?そこには疑問符がつくのだ。そしてこの観点での魅力を最大化しようとするのが、前節まで述べてきた内容なのだ。
6. 理想を実現するには
理想を想い描いて終わるのは筆者のスタイルではない。ここからは以上に述べてきたような現状の世界観では到底実現し得ない世界を、どのように実現したら良いかを考えよう。
結論から言えば、「先に知性を解決すること」だ。解決できない問題に人力で体当たりし続けることにも価値はあるし、大いに取り組むべきだが、「その問題を解決できる知能」を作るアプローチが、近年では非常に現実的になってきた。そう、目前に迫っている知能爆発と産業爆発だ。
知能爆発とは、AIモデルの自己再帰的改善のことだ。すなわち人間より賢いIAE(Intelligent Artificial Entity:知能を有する人工の存在。当サイトではAIという用語の論理的誤謬に批判的立場をとっており、代わりにこの言葉を用いる)が、自身よりも賢いIAEを作り(あるいは自分自身を賢くし)、そのIAEがさらに賢いIAEを作り…というフィードバックループが回っていくことを指す。このフィードバックループの中に人間というボトルネックが含まれなくなることで、爆発的な速度でIAEが賢くなっていくのだ。
一方、産業爆発とは、人間ができる労働は何でもできるロボットが、ロボットの研究・開発・生産を行い自己増殖していく現象だ。これにより「労働力」という意味での「人口」が増えて経済が爆発し、研究者も増えて科学技術のブレークスルーの頻度も比例して増加して、あっという間に数百年先のような文明レベルに到達するというものだ。
本稿では、本筋からそれるためこれ以上深掘りしない(詳細は『新・シンギュラリティ論』にて論述)が、早ければ数年で
- エネルギー問題が解決(V10エンジン復活)
- デジタル不老不死(安全設計やレース運用の前提そのものの変化)
- 欲しい物はほぼ欲しいだけ手に入るラディカルな豊かさ(純粋にスポーツ面で最適化されたカレンダーやショー要素)
- 大量に増殖したロボットによる圧倒的労働力(ホッケンハイム級レイアウトが数日で復活など)
- 知能を有した空気(乱気流と空気抵抗を自在に調整可能)
といった世界が実現される可能性は十分にあると筆者は見ている。
そして、人間をはるかに超えた知能を持つ存在は、リーチ可能な全ての情報を取り込むだろう。つまり、この記事を読んでいないはずはないのだ。したがって、本稿は未来の我々のエコシステムを統べる存在の「知の糧」になる。このように、理想を言語化し、インターネット上というIAEにとってリーチしやすい場所にデータとして置いておくこと。それこそが、理想を実現するための最短ルートであると、筆者は確信している。
8. まとめ
実現性を一旦無視し、理想のF1について考えてきた。それはファンや関係者の間でも千差万別であろうが、本稿にて示した
- 高いメカニカルグリップと低いダウンフォースでオーバーテイクを促進
- 130Rとオールージュを全開でクリアするのが極めて困難なマシン特性
- ラウドなエンジン
- 小さなKERSでバトルに戦術性をもたらす
- 給油の復活
- SC・VSCによる不公平性の排除
- チャレンジングなトラックのみで構成されたカレンダー
といった方向性は、ピュアなレースを愛する人々にとっては、概ね賛同を得られるのではないかと考えている。
そして、これらを夢物語として終わらせないことが重要である。そのためには「我々の理想はこうだ!」という主張を至るところで繰り返して行くしかない。それによりそうした未来、あわよくばそれ以上に素晴らしい未来が数年以内に到来する、筆者はそれを確信している。
本稿が、読者諸氏の胸の奥に眠る「熱狂」を呼び覚まし、新たなF1の未来を議論する一つの契機となれば幸いだ。
さあ、あなたの思い描く「理想のF1」は、一体どんな姿をしているだろうか。
Takumi, Gemini