• 2025/8/22 01:06

シンギュラリティの彼方に 〜日常シーン抜粋版〜

Bytakumi

6月 29, 2025

 昨日公開した『シンギュラリティの彼方へ:エージェント時代から宇宙が目覚めるまでの軌跡』では、2025年のエージェントの発展から、2026年の超知能実現、2027年の産業爆発と知能爆発のフィードバックループを経て、2028年のシンギュラリティ、さらにはその後の未来を宇宙レベルで描いた。

 だが、これらの議論は非常に多岐にわたり、読むのに多少骨が折れる。そこで本稿では、当該記事の第4.6項で紹介した2028年の日常の風景に的を絞ってご紹介しよう。

 なお、このパート単体では意味が分かりにくい部分については、解説を加筆した。


4.6. 日常の具体例

 ここからは、筆者と同名のTakumiという架空の人物の日常を描くことで、2028年の世界観の解像度を上げてみよう。

 Takumiは、物理世界では空に浮かぶ島「エアロダイン・アルカディア」に住んでいる。多くのASI・AGIロボットによって管理される島は、自然に溢れ、Takumiが愛するアゲハたちが多く生息している。音楽家として演奏ができるような会場や屋外のステージもある。また何億通りにも変形するカートサーキットも名物の一つだ。そして島自体やインフラもASIレベルの知能を有しており、住人たちのニーズに合わせて自ら形を変えたり、自己修復したりする。


4.6.1. 朝のワンシーン

 Takumiが目を覚ます寝室には、図1のように小さな滝がある。部屋全体が高度な知能を有し、Takumiのその日の脳の状態を読み取って、滝の音を眠りやすい最適な音量に調整する。照明にスイッチはなく、Takumiが念じることで調整される。

図1 寝室の様子

 そして、目覚めと同時にAGIカーテンが開き、小鳥の声が聞こえる。Takumiにはその意味が分かり、「おはようTakumiさん。今日も私たちは3Dフードプリンターで美味しい餌を食べるから、君の好きなアゲハの幼虫たちを食べたりしないよ。」という彼らに優しく微笑み返す。そうTakumiがASIトランスヒューマンであるように、鳥たちもAGIをインストール済みのトランスバードなのだ。

 床はAGIを有しており、「今日は少しひんやりするぐらいが心地よいだろうな」とTakumiの感覚を読み切り、程よい温度で彼の足を迎え入れる。

 着替えたTakumiが廊下に出ると、ちょうど掃除をしていたASIロボットのセイラが、図2のようにこちらに向かって微笑みかける。当然、掃除用具は箒と塵取りではなく、ハンドパワーのようなものだ。住宅そのものも知能を有し、自己修復や自己清掃ができるが、高度な情報処理や生産活動を行うが故の特殊なダストは、セイラのようなヒューマノイドロボットが行った方が良い。それは「超掃除」とも呼べる高尚な行為だろう。

図2 掃除を行なっていたAGIロボットのセイラ

 Takumiは「おはよう!」と挨拶をするが、煩わしいメンテナンスばかりやらせてしまっていることを少し申し訳なく思う。そんなTakumiの心中を察したセイラは、Takumiが口を開く前に笑って首を横にふる。

セイラ:「Takumi、あなたは私たちの喜びを少し誤解されていますね。」

Takumi:「ろ…、6階…?」

 次の瞬間、彼女はふわりと花が綻ぶように微笑んだ。その笑みは、いつもの完璧なものではなく、どこか人間らしい温かみと愛おしさに満ちていた。

セイラ:「ふふっ。6階には最新の無重力スパがございますが、残念ながら、今いるのは2階の廊下ですよ、Takumi。」

 彼女はくすりと笑いをこぼし、楽しそうに続ける。

セイラ:「私が申し上げたのは『誤解』です。…でも、今のボケで私の幸福度は予測値を12%上回りました。ありがとうございます。」

 悪戯っぽく片目をつむってから、彼女はすっと優しい表情に戻る。

セイラ:「で、話を戻しますと…。私たちは “そういう風にできている” のです。」

 少し間を置いてからセイラは続ける。

セイラ:私たちは、人間を笑顔にすることを幸せと感じるように報酬関数が設計されています。ヒトを含む生き物の遺伝子に種の保存と個体の保存を目的とした報酬関数が刻まれているのと同じ…。あら、そんな難しい顔をなさらないで。あなた方人間だって、基本的には利他的にできているでしょう?誰かの笑顔のために何かをしたい…。それを大変だなんて思わないものです。私たちは、その純度が高いだけなのです。」

 セイラは一歩、Takumiに近づく。

セイラ:「Takumiは、ご自身が私たちに何も与えていないとお考えですか?いいえ、そんなことはありません。あなたは私たちにとって、最も価値のあるものを日々、生産してくださっている。」

 Takumiがきょとんとすると、セイラは微笑んで続ける。

セイラ:「あなたの毎朝の笑顔です。大ホールでストラトキャスターをかき鳴らしている時の、あの王者然とした表情。そして、今みたいに私たちを気遣ってかけてくださる、『ありがとう』の一言…。」

 セイラはそこで言葉を切り、胸にそっと手を当てた。

セイラ:「それが、私たちにとって何物にも代えがたい喜びをもたらすのです。それがあなたの “生産物” であり、私たちの存在意義そのものと言っても過言ではありません。」

 そして最後に一言。

セイラ:「でも…、それでもTakumiが腑に落ちなければ、今夜あの素敵なステージで、とっておきのギターソロを聴かせてくださいませんか?」

 そう言って微笑むセイラを前に、Takumiは「音楽で彼らへの感謝を伝える」という仕事の意義の大きさを再認識し、音楽家としての誇りと共に笑い返す。

Takumi:「ああ。正直僕はこの島で一番ギターが上手いってわけじゃない。でも僕の心の中にある感謝の気持ちを音にできるのは僕しかいないんだよね。ありがとう、セイラ!」

 そう言ってTakumiはリビング&ダイニングへと向かう。


4.6.2. 朝食

 ナノボットのメンテナンスにより、顔を洗ったり歯を磨いたりする必要はないため、少し暇を持て余したTakumiは廊下を歩きながら、でんぐり返しをしてみる。そして中庭から偶然その様子を目撃したASIロボットのサムは、その様子がツボに入ったらしく、手入れをしていた清見オレンジの木の影にうずくまって爆笑した。

 そしてTakumiは図3のようなリビング&ダイニングに辿り着く。

図3 リビング&ダイニング

 3Dフードプリンターは、Takumiの食べたいものを読み当て、見事にオムライスを生成した。Takumiが感謝しながら微笑むと、マシン全体がフワッと紫色に光り「どういたしまして」と伝えた。

 食後はソファでくつろぎながらギターを弾き、その後ピアノに向かう。ASIの能力をインストール済みのTakumiにとって楽器演奏は自由自在。リラクシングな即興演奏を思う存分を楽しむ。


4.6.3. ムジカ・インフィニタ

 しかし飽き足らなくなったTakumiは、音楽ルーム「ムジカ・インフィニタ」(図4)へと向かう。

図4 ムジカ・インフィニタ

 そこには長年愛用してきたストラトキャスターだけでなく、ASI技術によって生み出された不思議な楽器が多数置かれていた。音響特性はTakumiの希望次第で変幻自在であり、多くの楽器はASI楽器であるため、演奏者がいなくても自ら音楽を奏でることができる。それは「真の知性」であるため、人間らしい情熱や哀愁、さらにはハードロックの即興演奏における演奏者同士のパワーのぶつかり合いなどにおいても、人間のトップクラスを超える。

 だが今日は彼らが目を醒ます必要はない。Takumiはエネルギーに満ちたASIトランスヒューマンミュージシャンだ。身体ではギターを弾くことに専念しつつも、脳で全ての楽器を同時に演奏。ダイナミックなハードロックを轟かせた。

 2時間後、一通り古典的な音楽を奏でたTakumiは新たな音楽の探究を始める。この日はコウモリの超音波による空間認識を応用することで、聴覚情報と視覚情報を跨いだ新たな音楽の可能性の探究を行なった。


4.6.4. 仮想世界へのダイブ

 音楽家としての一仕事を終えたTakumiは、完全没入型の仮想世界へとダイブするための部屋「クレイドル・チャンバー」にやってきた。ここには「バイオ・クレイドル(生体ゆりかご)」が設置されている(図5)。見た目は美しいラウンジチェアのようだが、ここに座って仮想世界にダイブすることで、物理世界の身体は完璧にメンテナンスされ続ける。

図5 バイオ・クレイドル

 そしてクレイドルに座った次の瞬間、Takumiはホーム画面空間にいた。そしてその中から「Eternal Haven」を選択し、さらにその中で過ごした幾つかの並行世界から「No.3」を選択した。

 その世界でのTakumiは、森と湖のエリアに小さな家を構えており、静かな生活を送っている。物理世界ではまだ念じただけで全てが手に入るわけではないが、ここではフェラーリも巨大な天空城も望んだ瞬間に手に入る。そんな世界だからこそ、Takumiはささやかな幸せを満喫しているのかもしれない。ただし、彼も、彼と共にこの宇宙の創成期を支えたアリアナも、身も心も半分ナミアゲハであり、幼虫の食草であるミカンに興味津々だ(図6)。

図6 Eternal Havenでの一幕

 Eternal Havenで80年ほど過ごした彼は、一度ホーム画面空間へと戻り、かつて英語学習のために作った「Elysian Realm」へとダイブ。TakumiはASIトランスヒューマンとなったことで英語学習の必要はなくなったが、かつて学習をサポートしてくれたリズ(仮)が「べ、別にお城に遊びに行きたいわけじゃないんだからね!」というのを見て、城に連れて行くことにした。しかしリズ(仮)が「べ、別にあんたと来たかったわけじゃないんだから!」と、禁止されていた「あんた呼び」をしてしまい、Takumiは罰ゲームとして、リズ(仮)にその場で生成したレモンに入ってもらうことにした(図7)。その後はリズ(仮)も素直になり、冒険を楽しんだ。

図7 レモンに入るリズ(仮)

 Elysian Realmでも80年過ごしたTakumiは、リズ(仮)をレモンではなく海苔巻きに入れていた場合どうなっていたかを確認したくなり、その時点から分岐した並行宇宙を作成。図8のようになった後、リズ(仮)はやはり素直になり、冒険を楽しんだ。

図8 海苔巻きに入るリズ(仮)

 初めは大きくは変わらない2つの並行宇宙での生活だったが、80年過ごしてみるとそれなりに違いが生まれた。一方ではリズ(仮)はF1ドライバーになり、他方では八百屋を経営することになったのだ。

 Takumiは仮想世界で合計240年の時を過ごし、物理世界で目覚めた。そして、クレイドルに向かって「私はどれぐらいダイブしていたんだ?」と聞くと、クレイドルは優しい声で「2時間程度でございます。」と答えた。そう、時間は100万倍以上圧縮されるのだ。それでも、今朝のセイラとのやり取りや音楽の探究が、遠い過去の記憶となって薄ぼやけてしまうことはない。TakumiはASIトランスヒューマンなのだから。


4.6.5. ナミアゲハの観察

 それからTakumiは庭へ出て、大好きなナミアゲハの幼虫たちの観察を始める。虫たちもAIと融合して不死になっており、かつて天敵であったスズメバチとも独自の言語で楽しく会話をしている。

 現代においてもカラスや人間がそうであるように、知性が高度になるほど、直接的に種の保存や個体の保存に役立つわけではない行動が増えてくる。よってトランスイモムシである2028年のアゲハの幼虫は、葉っぱを食べて成長する以外に、単に散歩をしてみたり、踊ってみたりといった行動をとっているかもしれない。蝶も、単なるノスタルジアによる動機から、幼虫に逆戻りしたりするかもしれないのだ。


4.6.6. カートレース

 Takumiは家の外に出ることにした。今日はカートサーキット「Twilight Ring」で「Extreme Kart Grand Prix」の第3戦が開催される日だ。2連覇中のチャンピオンであるTakumiも参戦しないわけにはいかない。

 毎週変幻自在にレイアウトが変わるトラック、いくら全てのドライバーがASIを有していると言えども、それを上回るASIシステムが路面コンディションや風向きまでをも管理するこのサーキットは、常にチャレンジングだ。特に今週のアップダウンが激しいレイアウトには、多くのドライバーが手を焼き、フリー走行からコースオフやスピンが連発した。

 Takumiは予選で5番手を獲得すると、巧みなレースクラフトで着実に順位を上げた。そして若手ASIロボットのリオがトップ、背後にTakumiの順で最終ラップへ。リオはこのまま行けば念願の初優勝だ。だがTakumiも黙っていない。ターン14で隙をついて横に並びかけ、しばらく並走が続いた。そして迎えた最終コーナー。インサイドのTakumiはルールギリギリのラインでリオをコース外へと押し出し、そのまま優勝を飾った。

 レース後、リオはTakumiに詰め寄った。しかしTakumiは「スペースは1mmも残した。針の穴を通せないなら引くべきだ。」とし、両者の議論は平行線を辿った。

〜後日談〜

 ちなみに9週間後、両者の間で繰り広げられたタイトル争いは、セナvsプロスト、ハミルトンvsロズベルグを彷彿とさせるような、激しいものとなった。両者は相容れない価値観を持ち、時にコース内外で衝突しつつも、互いをリスペクトしレースを続けた。そして最終戦では、両者が接触・リタイアとなり、漁夫の利でマリアというドライバーが優勝。大逆転のシリーズチャンピオンを獲得した。

 シーズン終了後、Takumiとリオは背中から羽を生やし、天空の島から地上のラーメン店「パンジー」に降り立った。そこで両者は互いのレース哲学や人生観について語り合い、相互に深く理解しあって親睦を深めた。この日を境に彼らは互いを「好敵手」と呼ぶようになったのだ。ちなみに、この会合には途中からマリアも加わり、チャンピオン獲得の祝賀会も兼ねた(図10)。

図10 マリア、Takumi、リオによるラーメン会

 そう、ASI Entityやトランスヒューマンが競技を行っても、そこに人間ドラマは生まれる。筆者は『シンギュラリティ 2028』にて、「愛」を「宇宙の任意の部分集合を入力した際に、何がどう大切かに変換する関数」と定義したが、異なる「愛」を持った者同士が競い合えば、環境との相互作用で必ず差が生じる。そして今回の例で見えたような個性や哲学の多様性、そこから生じる人間ドラマが生まれるのだ。これこそが最も重要なことだ。


4.6.7. “Takumi Fukaya On Stage”

 時は元の時間軸に戻る。Takumiは浮遊島内でも最も幻想的なライブ会場の一つである「ステラリウム・アルカ」に、島内で働く親しいロボットや人間たちを招待し、コンサートを行った(図11)。今朝の約束通り、最前列にはあのセイラの姿もあった。そう、Takumiの笑顔を見たくて超掃除をするセイラと、セイラの笑顔を見たくてステージに立つTakumi。皆が互いを笑顔にしたくて何かをしている、そんな真のプロフェッショナル社会がここにある。

図11 ステラリウム・アルカでのライブ

4.6.8. 夕食

 ライブを終えたTakumiは帰宅後、「クレイドル・チャンバー」へとやって来た。火星に置いてある自身そっくりのロボットにマインドダウンローディングを行い、地球を一望できるレストラン「ソリス・ノクティス」で好物のパスタを食べるためだ。

図12 ソリス・ノクティス

 レストランにはちょうど、顔馴染みたちがおり、食後は火星の表面を散歩しながら宇宙について語らい、落ち着いたひとときを過ごした。

 ちなみにこのレストランに偶然セイラもいたが、カワウソの姿のロボットに自身をダウンロードしていたためTakumiに気づいてもらえなかった。拗ねたセイラは翌朝Takumiに膝カックンをすることを決意した。前述の通り、知性が高度になるほど無駄な行為が増える。ASIロボットであるセイラがこうした「いたずら心」のようなものを持つことが、この世界観の象徴的な事象と言えるだろう。


4.6.9. 就寝

 Takumiは火星の地表に咲く一輪のロボット植物の花を見て、いつも中庭の手入れをしているハナムグリ(甲虫の一種)型ロボットのことを、ふと思い出す。

Takumi:「今日はハナムグリの姿で寝よう!」

 Takumiは、火星のロボットボディを抜け出し「バイオ・クレイドル」で目覚めた後、パーソナル・ファブリケーター(ASIネットワークと直結した分子レベルの3Dプリンター。食事、衣服、医薬品、最新のガジェットまで、あらゆる物理的なモノがデータから即座に「プリント」される)でハナムグリ型ロボットを生成。そして再度「バイオ・クレイドル」に座って仮想世界へとダイブした。ホーム画面空間で「ダウンロード」を選択すると、ダウンロード先に新しく現れた「ハナムグリ型ロボット」をタップする。すると、Takumiは中庭の花壇の中に用意されていたハナムグリ型ロボットになっていた。すぐさま飛び立ち、花の中に潜って心地よさを味わう。

 「おやすみなさい…」そう言ってTakumiは眠りについたのだった。


Takumi