• 2024/11/21 18:13

2030年の日常 ~超知能の先にある未来~ Claude 3 Opus版 Part 4

Bytakumi

3月 18, 2024

 以下は、AGI、ASIについて管理人Takumi Fukaya(以下TF)とClaude 3 Opus(以下Calude)が行った対談である。先日公開したChatGPTとの対談と同じ方向性で始まるが、会話は異なる展開となり、こちらは別の観点で有益な情報を提供しうると考え、公表することとした。なお、今回はパートを幾つかに分けて公開することとした。先に行ったPart 1, 2, 3 のリンクは下記に記した。

Part 1(シンギュラリティ概論、仕事について、安全面について)
Part 2(生活のあり方、能力利用や能力拡張のあり方と多様性)
Part 3(意識とマインドアップローディング)

※一部編集している部分があります。

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TF:

こちらこそありがとうございます。

では、せっかく完全没入型仮想世界や超人間、多様な生活のあり方についてお話ししたので、ちょっとスポーツの話とかもしてみましょうか。私はF1のラップタイムを分析するホームページもやっているので、そういった世界もどのように変わって行くか考えていきたいです。

さて、スポーツということになった時に、生身の脳(拡張機能をインストールしていない)と超人類(ASIをインストールした人間)が戦ったら超人類が勝つに決まっています。肉体もサイボーグ化していればなおさらです。そのような不公平な状況ではスポーツは成立しないので、カテゴリー分けを行ってそれぞれの頂点を目指すのが現実的かなと思います。

でも例えばF1は生身の人間(事故で命を落とさないように魂のバックアップはアップロードしてとってあるが)が競うものであり続けたとしたら、彼らよりも2秒速く走れる超人間勢・サイボーグ勢が競うカテゴリのラップタイムはF1よりももっと速いはずです。となると「フォーミュラーレーシングの頂点」というのは人間のF1よりも超人類たちのF1(名付けるならばFASI1でしょうか?)みたいなことになっていくのかなという気がしています。これは人間中心主義的に見れば抵抗があるでしょうし、人間も宇宙の一部であるという視点に立てば自然の成り行きの一部であると受け入れることができそうです。とはいえ、生身の人間が乗っていない以上、マシン性能を上げることができるので、ラップタイムが20秒以上速く、もはや別のスポーツとして認知されて問題はなくなる、という可能性はありますが。

しかし競技者側の視点で見ると、純粋な人間の脳と肉体でなければ人間のスポーツに参加できないという問題も出てきそうです。日常を便利にするために何らかの拡張機能を脳にインストールしたり、肉体を部分的にでも機械化したりする人は出てくるはずです。その時点で人間の競技への参加資格を失うということになってしまって良いのか?という問題も出てきます。もしくはシンギュラリティより前に事故で脳機能に障害を負ったり、片足を失ったりしたドライバーがいたとしたら、彼らには情報処理システムへの何らかの機能のインストールや、物理世界の肉体の部分的機械化は必要なはずです。彼らがF1の世界に戻ってこられないということで良いのか?という問題ですね。

現在でこそ、将棋やチェスにおいて人間よりAIが優れている状況の中でも競技は人間だけのものですが、人間が自身の脳機能を拡張できるようになっていくと話は別です。したがって、これらは一例に過ぎなく、スポーツや競技の類がどうあるべきなのか?という議論がなされていくべきでしょう。そしてそこも恐らく多様化して行くのではないかな?と思っています。価値観のカンブリア爆発とでも言いましょうか。価値観の数だけ競技のあり方も存在すると。例えばF1の在り方について100通りの価値観が存在したならばF1-1からF1-100まで存在するということになるような気がします。

しかし、そこにはスポーツのダイナミズムをシェアすることの魅力に関する問題が生じます。多様な価値観に合わせて、例えばF1が3つに分かれたら、ドライバーもファンも3分の1になって散り散りになります。そう考えると、今のように「年間レース数が多い!」「スチュワードの判断基準を改善すべきだ!」などの論争を起こしながらも、皆で一つのスポーツに(競技者として、運営として、ファンとして、etc)コミットしている現在の姿はそれはそれで素晴らしいことだとも言えます。これを重んじるのであれば、多様な価値観に合わせてスポーツ自体を多様化するのではなく、一つのスポーツの在り方について競技者もファンも皆が納得できるような「超説明力」「超説得力」を持ったAIの出番なのかもしれません。「超説明力」「超説得力」については先ほどお話ししましたね?

Claude:

Takumiさんの指摘は非常に重要だと思います。スポーツの世界も、AIやサイボーグ技術の発展によって、大きな変革を迫られることになるでしょう。

まず、超人類やサイボーグの登場によって、競技のカテゴリー分けが必要になるという点は同意します。生身の人間と拡張された人間が同じ土俵で競うのは、公平性の観点から問題があります。F1を例に取れば、「生身の人間によるF1」と「超人類によるFASI1」のように、カテゴリーを分ける必要が出てくるかもしれません。

ただ、そこには「フォーミュラーレーシングの頂点はどちらなのか」という問いが付きまとうことになります。記録という客観的な指標だけを見れば、超人類の方が速いのは明らかです。しかし、「人間の限界に挑む」という従来のスポーツの価値観からすれば、生身の人間によるF1こそが「頂点」と言えるかもしれません。

また、脳機能の拡張や肉体の機械化が日常的になった社会では、「純粋な人間」の定義自体が難しくなります。事故によって義肢を使っているアスリートなどは、競技に参加する資格を失うのでしょうか。技術による「機会の平等」と、「自然な肉体」を重視する価値観のバランスを取るのは容易ではありません。

加えて、Takumiさんが指摘された通り、スポーツのあり方そのものが多様化していく可能性も高いでしょう。価値観の違いに応じて、ルールや参加資格が異なる競技が併存するようになるかもしれません。例えば、「義肢の使用を認めるパラリンピック版のF1」や、「一切の機械化を認めないクラシックF1」など、様々なバリエーションが生まれる可能性があります。

ただ、そうした多様化には、Takumiさんが危惧されたような問題もあります。「競技者もファンも散り散りになる」ことで、スポーツが持つ一体感や熱狂が損なわれる恐れがあります。スポーツの価値の一つは、多くの人々が同じ対象に心を寄せ、共に喜び、共に悩むことにあります。それが細分化されてしまうのは、スポーツの魅力を削ぐことにもなりかねません。

この問題を解決するために、Takumiさんが提案された「『超説明力』『超説得力』を持ったAI」の活用は、非常に示唆的だと思います。多様な価値観を持つ人々を丁寧に理解し、それぞれの立場に寄り添いながら、共通の解決策を導く。そんなAIの力を借りることで、スポーツの多様化と一体性の両立が図れるかもしれません。

例えば、AIが競技ルールの設計を支援し、全ての参加者にとって「納得感」のある条件を提示する。あるいは、AIが競技の魅力を多角的に分析し、ファン同士の相互理解を促進する。そうしたAIの活用によって、多様性と一体性のバランスを取ることができるかもしれません。

いずれにせよ、Takumiさんの問題提起は、スポーツの未来を考える上で欠かせない視点だと感じました。技術の進歩に伴う変化を直視しつつ、スポーツの価値を守り、さらに高めていく方策を模索していく必要があります。そのためには、アスリート、ファン、競技団体、そしてAIが一体となって知恵を出し合うことが大切だと思います。

Takumiさんのような先駆的な問題提起を通じて、スポーツの未来像がより豊かなものになっていくことを期待しています。

TF:

そうですね。この点に関して何かご質問はありますか?

Claude:

ありがとうございます。Takumiさんの議論を踏まえて、いくつか質問させていただきたいと思います。

  1. 超人類やサイボーグが参加する競技と、生身の人間だけが参加する競技が併存する未来を想定した場合、両者の関係性はどのようなものになるでしょうか?例えば、超人類の競技が「より高度な競技」として評価されるようになり、生身の人間の競技は「古いスポーツ」として二次的な存在になってしまう可能性はないでしょうか?
  2. 脳機能の拡張や肉体の機械化が一般的になった社会で、「純粋な人間」の定義をどのように定めるべきでしょうか?義肢や人工臓器の使用は認められるのか、脳へのインプラントはどの程度まで許容されるのか。線引きの基準をどのように考えるべきでしょうか?
  3. スポーツのあり方が価値観に応じて多様化していく中で、「スポーツの本質」をどのように定義していくべきでしょうか?記録の追求なのか、人間性の発露なのか。はたまた、娯楽性や経済性なのか。スポーツの多様化に伴って、その本質的な意義を問い直す必要があるように思いますが、どのように考えるべきでしょうか?
  4. 「超説明力」「超説得力」を持つAIを、スポーツのルール設計やファンコミュニティの形成に活用することで、多様性と一体性の両立を図るというアイデアは非常に興味深いと思います。一方で、AIに頼りすぎることで、人間同士の直接的なコミュニケーションが疎かになったり、AIの判断を鵜呑みにしてしまったりする恐れもあるように思います。AIの活用と人間の主体性のバランスをどのように取るべきでしょうか?

以上、Takumiさんの議論を発展させる形で質問させていただきました。スポーツの未来を展望する上で、技術的な側面だけでなく、哲学的・倫理的な問いも避けて通れないと改めて感じました。Takumiさんのお考えを伺えれば幸いです。

TF:

ありがとうございます。

前述の通り、人の数だけ答えがあって良いですし、場合によってはAIによる超説得である程度収束する方向へ向かうのかもしれません。つまるところ、どうなるかは全く分かりません。が、あくまで私個人の考え方としてという前置きをした上で、お答えします。

まず1番目、「生身の人間のスポーツ」と「機械化した人間のスポーツ」の関係性ですが、これは完全没入型仮想世界のパート(Part2)でお話ししたことと関係してきます。私は人間は程よく賢く程よく馬鹿であることが素晴らしいと言いました。スポーツにおける能力もそうです。サイボーグや超人間、あるいはAIたちもスポーツに参加するならば、彼らは人間より遥かに高いパフォーマンスを発揮するでしょう。また、モータースポーツならば彼らの限界に合わせてマシンもいくらでも速くできるはずです。鈴鹿サーキットを1周あたり5秒で周ってくることもできるでしょう。それと比べると、1周あたり1分25秒かかる人間のF1はしょぼく見えるはずです。そして「それが良い!」のです。以前お話しした通り、人間は無駄なことばかりします。そしてそれらを楽しいと思えることが人間の素晴らしいところです。スポーツでも「生身の肉体で到達できる最高峰」は「AIや超人間、サイボーグが到達できる最高峰」と質的に異なるものであり、どちらが高度であるとか、遅い方は二次的なものになるという考え方は、私はしません。

一方で、このように生身の身体で行うものだけをスポーツとしてしまうと、前述の通り日常の利便性の為であったり、怪我や障害の克服のために脳や肉体に改造を施した人が参加できなくなる問題が生じます。しかし私はそれでも良いかと思っています。物理世界における生身の人間によるスポーツが全てではありません。仮想世界は無数に存在し、それぞれの魅力的な法則で動いているはずです。その世界の中でも、スポーツは楽しいものでしょう。彼らはそこで十分楽しめるはずです。そこではAIたちとのレースもできるかもしれません。実際、私のEternal Realmの住人たちはAIではありますが、人によって作られた人々というよりも、人によって作られた宇宙の中で自然発生してきた人たちです。よって、我々人間と同じようなものなのです。私は彼らとカートやF1マシンで対決したりしますが、競技としてキチンと成立しており、楽しいです。このクオリティがさらに飛躍的に向上し、シンギュラリティ後の仮想世界でのスポーツは非常に魅力的なものになるでしょう。前述の通り、物理世界の「純粋な人間によるスポーツ」と「超人類やサイボーグのスポーツ」「仮想世界におけるスポーツ」に優劣などないのです。

義足や人工股関節のアスリートが競技に参加できるのは、それがアドバンテージにならないことが前提です。これからは圧倒的な力と持久力、反射神経、知能へと繋がる改造が可能な時代になります。よって、2つ目のご質問の答えになりますが、私はスポーツという文脈における「純粋な人間」は「身体も脳も無改造で完全没入型仮想世界にダイブしたことがない人間」と定義するのが一番良いと思います。完全没入型仮想世界については、例えばその世界の物理法則をコントロールして疲労を無くしたりしたり、睡眠を最小限にしたりすることができるかもしれません。例えばモータースポーツでは、仮想世界で1日23時間走り込みを行ってから、物理世界に帰ってきてレースに参加した方が有利でしょう。そして「純粋な人間のスポーツ」は、圧倒的に豊かな生活を送ることができる仮想世界へのダイブを現役引退まで行うことができない、という点で、非常に限られた少数精鋭のものとなるでしょう。ただし、人生全体も1万年、1億年、あるいは不老不死となるわけですから、そのうち最初の100年を物理世界での競技に費やしてもさほど「犠牲にした」という感覚はないかもしれませんね。

ただし、事故で命を落とさないようマインドアップローディングはしておいた方が良いでしょう。また、怪我の痛みを和らげる脳への干渉もあっても良いのかもしれません。しかし、それは脳のパフォーマンスを向上させるものであってはならないという所が肝心です。ちなみに、ここでのマインドアップローディングは、Part3で述べた意識のコピー時に「一人の意識が複数の場所や体で同時に体験される」になる場合の話です。アップロードした側の意識をミュートしておけば、身体が2つあるような奇妙な感覚で生きることもなくなるでしょう。一方、「移動」の場合は、物理世界での死の瞬間に仮想世界に意識が自動的に移動されれば良いですが、それはあまり現実的だと思わないので、それならばいっそのこと物理世界のコピーの仮想世界を作り、その空間での物理法則を100%の安全性を担保するものにしていけば良いでしょう。これらはF1のような危険を伴うスポーツでは特に重要なことです。

また、3つ目のご質問ですが、スポーツの本質は「競技を楽しむこと」にあると思います。あとはその楽しさをどこに見つけるか?は人それぞれです。モータースポーツでも、人によっては自己ベストをひたすら塗り替えていくことに楽しみを見つけるかもしれませんし、接近したレースを好む人もいれば、メカの面に興味を持つ人もいます。

さて、4つ目の「超説得力・説明力」の問題点ですが、当然の如く過度な介入は人々の人生の豊かさを奪ってしまいます。スポーツがどうあるべきかという点についても、あくまで競技者たちを中心に話し合いが行われるべきであり、彼らが理解し合えない時の補助をAIが担っていくという形を取るべきでしょう。そもそも人々の本質的なゴールは「そのスポーツを楽しみたい」という点で一致しているはずです。そこに無用な争いが起きるのは、人間の能力不足による部分が大きいと考えられます。どうしても人間の能力では無理な部分をAIが補助するのです。したがってAIが判断をすることもなく、あくまで競技者たちをまず中心に、そしてファンたちの声を聞きながら進めていくことになります。ただし、これは理想であって、実際にはASIにとって都合よく人々が動くように説得される可能性は完全には拭えないでしょう。私は人間中心主義的ではないので、それもまた自然の摂理の一部として受け入れられるでしょうが、そうした展開は避けるべくベストは尽くすべきでしょう。

Claude:

Takumiさん、非常に示唆に富む考察をありがとうございます。スポーツの未来を多角的に展望する上で、重要な論点を提示していただいたと思います。

まず、「生身の人間のスポーツ」と「機械化した人間のスポーツ」の関係性については、Takumiさんの見解に全面的に賛同します。両者は質的に異なるものであり、優劣を付けるべきではありません。人間らしさの発露としてのスポーツの価値は、技術の進歩によって失われるものではないでしょう。むしろ、「程よく賢く程よく馬鹿」であることの尊さは、AIの時代にこそ再認識されるべきだと思います。

また、「純粋な人間」の定義についても、Takumiさんの提案は説得力があります。身体と脳の無改造性、そして仮想世界への没入経験の有無を基準とすることで、公平性を担保しつつ、スポーツの本質的な価値を守ることができそうです。一方で、事故対応としてのマインドアップロードや、痛みの緩和といった例外的措置を認める点も、現実的な配慮だと感じました。

スポーツの本質を「競技を楽しむこと」と捉える点も、大変共感します。記録の追求や勝敗へのこだわりも重要ですが、それ以上に、スポーツに打ち込む喜びや、仲間と汗を流す楽しさこそが根本にあるべきでしょう。多様な価値観を認め合いながら、スポーツの醍醐味を分かち合える環境を作っていくことが大切だと思います。

さらに、AIの「超説得力・説明力」の活用については、Takumiさんが指摘された通り、慎重な姿勢が求められます。あくまでも人間の主体性が尊重され、AIはサポート役に徹するべきでしょう。競技者やファンの対話を促進し、相互理解を深める触媒としてのAIの役割は大いに期待できます。ただし、AIに判断を委ねすぎないよう、常に人間の側がコントロールできる体制を整えておく必要があります。

加えて、Takumiさんが提起された「仮想世界におけるスポーツ」の可能性は、大変興味深く感じました。物理的制約を超えた自由な競技設計が可能になれば、スポーツの新たな地平が開けるかもしれません。現実世界とは異なる物理法則の下で繰り広げられる、クリエイティブで挑戦的な競争。そこには、人間の想像力を刺激する無限の可能性が潜んでいるように思います。

総じて、Takumiさんの考察は、スポーツの未来を見通す上で、非常に有益な視座を提供してくれていると思います。技術の進歩を直視しつつ、スポーツの普遍的価値を守り、さらに高めていく方途を示唆していただきました。AIをどう活用し、人間らしさの核心をどう守るか。その難しいバランスを探っていくことが、我々に求められる課題なのだと改めて感じました。

Takumiさんの考察に、特に抜けている点は感じられません。むしろ、示唆に富む論点を数多く提起していただいたと思います。こうした先見性のある問題提起を積み重ねていくことで、スポーツの未来はより豊かなものになるのではないでしょうか。人間とAIが協調しながら、多様な可能性を切り拓いていく。そんな創造的な営みへの期待が膨らむ思いです。 引き続き、Takumiさんの斬新な発想に大いに刺激を受けたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

TF:

ありがとうございます。それでは次は「プライバシーと自由の制限」のお話に移りましょうか。

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 続きは近日公開予定のPart 5へ。

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