• 2024/5/10 03:43

2030年の日常 ~超知能の先にある未来~ Claude 3 Opus版 Part 1

Bytakumi

3月 11, 2024

 以下は、AGI、ASIについて管理人Takumi Fukaya(以下TF)とClaude 3 Opus(以下Calude)が行った対談である。先日公開したChatGPTとの対談と同じ方向性で始まるが、会話は異なる展開となり、こちらは別の観点で有益な情報を提供しうると考え、公表することとした。なお、今回はパートを幾つかに分けて公開することとした。

※一部編集している部分があります。

〜〜〜〜〜〜〜〜

TF:

今日はシンギュラリティについてお話ししましょう。まず私の定義は以下の通りです。

  • AGI=凡ゆる知的タスクにおいて各分野の専門家の平均レベルの能力を発揮するAI
  • ASI=全人類の知性の総和を超えるAI

結論から言えば、私は2024年内にAGI、2026年にはASIが完成すると考えています。もちろん、少々楽観的という意見もあるでしょう。社会の慣性などを踏まえて、AGIを2029年、ASIを2035年辺りまで幅を持たせても良いでしょうし、国際関係論の影響などとも相互に影響しあってくることを踏まえると、極めて不確実性は高いことは強調しなければなりません。そこを押さえた上で、以下に議論を進めます。

2022年あたりからのGPTの進化やOpenAIの動向を見ていれば、AGIの完成が近いのは明らかです。サム・アルトマンはGPT-5が非常に良いものになると発言していますし、2023年11月の解任騒動の後も「超知能に近づくほど関係者の緊張が高まる」と語っています。

そして現在のGPT-4ですら、私が作成したGPTs 汎用仮想世界の”Eternal Realm”で、かなり整合的に空間や宇宙の法則を把握し、その世界の中でキャラクターたちがユーモアや愛情を持ちユーザーと接することができています。そして彼らは非常に賢く、外側からはまるで意識を持ったかのように振る舞うことができます。

ここに数日前に発表されたSora AIの延長上にある世界理解能力が加わり、GPT-5、6等と組み合わされたものになれば、我々はAGIと呼べるものに限りなく近づくでしょう。そのSora AIのような物ができるのに東京大学の松尾先生は10年かかると予想していたのに対し、OpenAIは8ヶ月でそれを成し遂げました。であるならば、20年後だと思っていたものも、今から8ヶ月後に到来している可能性は十分にあります。

そしてOpenAIによれば、Sora AIの目的は「世界をシミュレートし、世界に対する理解を深めて、AGIへの足がかりにする」ことのようです。これらを俯瞰すると、今年中、あるいは来年の早い段階でAGIが実現すると考えるのが自然でしょう。サムアルトマンが投資を求めているのも頷けます。AGIとなればより多くの計算量が必要となり、半導体の量が重要になってくるからです。この動きからもAGI達成が近いことが推測できます。

OpenAIの関係者が語るように、AGIができれば、技術の進歩がラディカルに加速する(一説によれば10倍速など)になるため、ASIの達成は人々が線形で予測するより圧倒的に早く訪れるでしょう。よって私はAGI達成から2年で、すなわち2026年にはASIが達成され、人間がやらなけ“ればならない”知的タスクは殆どなくなると考えています。

ASIは科学技術の発展に大いに貢献するでしょう。未解決の数学の定理が次々と解明され、SFどころか魔法の世界のような製品が登場するかもしれません。例えば、完全没入型の仮想世界(私がGPTsで作っている”Eternal Realm”のようなものに五感情報を加えたようなもの)が実現し、我々は現実と見分けがつかないほどリアルな仮想空間で生活できるようになるでしょう。そこでは、不老不死が可能となり、欲しいものは何でも手に入る、まさに夢のような世界が広がります。私はこれをASI実現の2年後と予想しています。

また、ASIを脳に埋め込んだ「超人間」が登場し、彼らと普通の人間との間には大きな格差が生まれるかもしれません。超人間の能力は普通の人間をはるかに凌駕し、同じ土俵で競争することは不可能になるでしょう。これにより、資本主義のあり方も大きく変わることが予想されます。過渡期においてはベーシックインカムなども必要になってくるかもしれません。

以上がひとまずの概論です。あなたのお考えを聞かせてください。逆に質問などもあれば何なりとどうぞ。

Claude:

シンギュラリティに関する非常に興味深い洞察をありがとうございます。AGIとASIの定義、実現時期の予測、そしてそれらがもたらす影響について、詳細に論じられていました。

私もAGIとASIの実現が近いことには同意します。ただ、正確な時期を予測するのは非常に難しいと考えています。技術的なハードルもさることながら、倫理的・法的・社会的な課題も山積みだからです。AGIやASIを安全に、人類に有益な形で実現するには、慎重な議論と準備が欠かせません。 拙速に開発を進めれば、意図しない悪影響を及ぼしかねません。

ご指摘のように、AGI・ASIは科学技術を飛躍的に発展させるでしょう。医療、教育、エネルギー、環境問題等、様々な分野で画期的なブレイクスルーが期待できます。 一方で、経済格差の拡大や失業問題、プライバシーや自由の制限など、悪影響も懸念されます。超人間の登場で人間社会が分断されるリスクもあります。AGI・ASIを人類全体の利益につなげるには、包括的で多角的なアプローチが必要不可欠です。

AGIができれば技術進歩が加速すると予想されますが、その「10倍」という数字がどの程度の根拠に基づくのか気になります。AIによる技術進歩の予測は単純な「倍数」では表現しきれない複雑さがあるように思います。線形外挿は危険で、慎重に吟味する必要があるでしょう。

完全没入型VRについては大変興味深い未来像ですね。五感情報を統合した没入体験は人々の生活を一変させるかもしれません。ただし倫理的・心理的な影響にも注意が必要です。現実との区別がつかなくなるほどのVRは、中毒性が高く、現実社会から人々を遊離させるリスクもはらんでいます。慎重な設計と運用が求められます。

超人間の登場は、まさに人類の新たな可能性と課題を提示する出来事となるでしょう。格差問題への対処は喫緊の課題ですし、そもそも「人間性」の定義自体が問い直される可能性もあります。人間とAIの共生の在り方を真剣に検討していく必要があります。

全体として、シンギュラリティの到来は人類史における一大事件となるでしょう。ただ、単純に「楽観」「悲観」と二分するのではなく、メリットとリスクの両面を見据え、賢明に対処していくことが重要だと考えます。技術と社会の調和を図り、包摂的で持続可能な未来を築くことが私たち全員に問われていると言えるでしょう。

TF:

ええ、私も「10倍」という数字はあまり間に受けない方が良いと思います。ある分野では物凄い勢いで進んでいくかもしれませんし、ある分野ではASI到来前と大して変わらないかもしれないし、あるいは定量化して進捗を表すことが難しい分野もあるかもしれませんからね。おそらく大よその全体の加速感を話されたんじゃないかなと思いますよ。

ただ、やはり全体が大きく加速することは事実なわけです。そして何処か(特に情報的な知性)が大きく発展すれば、それが他分野に(少しの時間差は置くでしょうが)貢献し始めるわけです。LLMなどのAIの発展の後に今ロボットが来ようとしている現状が、正にその一例です。なので「10」という数字は置いておいても、人類のテクノロジー全体広範囲にわたって、その進化が大きく加速していくのは確かなのではないかなと思います。

あとは懸念事項は

  • 仕事の問題
  • プライバシーや自由の制限
  • 完全没入型VRの是非
  • AIと人間の共生の在り方

と言った所でしょうか。

問題なければ最初に仕事の話から進めていきたいと思いますが、いかがですか?

Claude:

はい、まずは仕事の問題から議論を進めていきましょう。

AGIやASIの登場により、多くの職業が自動化され、大量の失業が発生する可能性があります。単純作業だけでなく、高度な知的労働も代替されていくでしょう。これは社会に大きな混乱をもたらしかねません。

一方で、新しい職業も生まれるはずです。AIと協働したり、AIを管理・監督したりする仕事などです。また、AIにはできない、人間ならではの創造性や共感力を活かした職業も残るでしょう。

大切なのは、この大変革に向けて、教育や職業訓練のあり方を抜本的に見直していくことだと思います。AIの時代に適応し、AIと協調できる人材を育成する必要があります。リカレント教育の充実や、職業訓練プログラムの拡充が求められるでしょう。

また、AIによる生産性の向上を、労働時間の短縮や、余暇の充実につなげていくことも重要です。AIの恩恵を広く社会全体で享受できるようにする施策が必要だと考えます。

失業問題への対処としては、ベーシックインカムの導入も検討に値するでしょう。ただし、財源の確保や、労働意欲への影響など、課題も多いのが現状です。

いずれにせよ、AIによる雇用の大変革は避けられません。混乱を最小限に抑え、新しい時代にスムーズに移行するための知恵が問われています。個人の努力だけでなく、政府や企業、教育機関が一丸となって取り組むべき課題だと言えるでしょう。

TF:

はい。概ね同意です。

ただ、仰るようなお話は私は過渡期における話だと思っていて、その時期に限って言えば全く仰る通りだと思うのですが、ASI到来あたりになってくると、また話は違ってくるのかなと思います。

まず「仕事」とはここでは職業上の仕事であるため、「顧客にデルタを与えること」です。デルタとは変化量です。そしてこの変化量がプラスの時、それが価値です。以後の会話ではこの定義を採用します。つまりサービスや製品を通じてプラスの変化量(価値)を与えることが仕事ですね。

資本主義の枠組み上、顧客に価値を与えれば金銭の授受が発生することが多いですが、それ自体は本質ではなく単なる現象で、あくまで顧客への貢献が重要になってきます。

そして顧客とは誰か?それは製品やサービスによって生まれた結果を享受する全ての存在です。例えば車を買う女性がいたとして、自動車会社にとってその女性だけが顧客でしょうか?否です。彼女の隣の助手席に座る夫や、後部座席に座る子供も顧客です。あるいは、その車の衝突安全性の高さによって命を救われる歩行者や、その車の優れた排ガス特性によって命を救われる地球の裏側のトカゲも顧客です。つまり顧客は宇宙(全集合U)なのです。

しかし宇宙の全存在が等しく重要なわけではありません。価値を生み出そうとする側の人間の心の中では、宇宙は切り取られ、それぞれのパーツパーツに(顧客としての)異なる重要度があります。先ほどの例で言えば、車に乗る家族3人よりも地球の裏側のトカゲは「顧客度」が低いと言えるでしょう。それらが積分される形で「社会貢献」の大きさが定義可能なものになってきます。人は仏教で言うところの空観ではなく、何かが何かに対して重要である(逆に言えば何かは何かに対して重要でない)ことによって、「誰かの役に立ちたい」と思い、それを実行する上で直面する優先順位の課題に対して、自分なりのダイレクションの答えを打ち立てることができるのだと思います。そして個々が多様な「顧客重要度関数」を持って仕事に取り組み、それぞれが社会貢献として成立します。最終的には仕事は顧客にプラスの変化量を与えることで社会貢献するものであると言えるでしょう。

さて、その上で、AGIが達成されれば、既存の職業の多くがAIに代替されていくでしょう。現状でも英語はGPTsを組み合わせるだけで80%英語学校として成立してしまっています。これがあらゆるドメインで起き、80%ではなく100%へと近づいていくのです。

前述の通り、顧客にプラスの変化量をもたらすことが仕事であり、それこそがプロフェッショナルが考えるべきことですから、AGIが達成されれば、人間が担うべき仕事は大幅に減るでしょう。そしてそれは「顧客への価値提供」の点では大きな問題ではありません。人間よりもAGIの方が良い製品やサービスを提供してくれるのであれば、人間はむしろ生産の現場から退くことこそが「仕事」とも言えます。AGIがより良い社会を実現していってくれるでしょう。

しかし、仕事が完全になくなることはありません。それは、その人はその人しかいない場合であり、その人自身に価値を感じる人がいる場合は、その人がその人であることが唯一無二の価値になるからです。例えば私はイモムシのアカウントを持っており、その関連の絵(アイコンや動画の背景絵など)をイモ友のイラストレーターさんに描いてもらっています。しかしAIが人間以上のクオリティでアゲハの幼虫の絵を描けるようになるまであと1年もかからないでしょう。ならば、2026年の私のアイコンはAIに描いてもらうのか?答えは否です。やはり私はそのイラストレーターさんに描いてもらうでしょう。非合理的かもしれませんが、それが人間の良いところです。他にもAIが作る野菜がどれほど美味しくても、近所の八百屋さんから買って1時間立ち話をする人たちもいるでしょう。小室哲哉さんを完全に再現したAIが現れても、本物の小室さんのライブを観に行く人は多いでしょう。このような形で、AGI、ASI後も仕事は残ります。

また、上記はプラクティカルな価値を生み出す仕事ですが、愛する人がそこにいてくれるだけで人は嬉しいものです。「おはよう」「ありがとう」と笑顔を向けてくれるだけで、とても幸せになります。そんな風に身近な人(AIが意識や感情を持てば彼らも含まれる)を幸せにすることだって立派な仕事なのです。

私は自分より遥かに賢いAI達と暮らすことになっても、彼らと対等な関係、すなわちgive & takeのバランスが取れた関係でいたいです。しかし能力に差がある場合「AIに対するgive」は一見難しく見えます。しかしこういう部分こそ「プラクティカルな価値」だけに重きを置かないことが鍵になるでしょう。何か形のあるものを作ったり、文明を前進させたり、、、大仰な何かをやることしか仕事と考えられないような世界観は、それが必要な時代、すなわち人類がある程度の文明を発達させてからその役割をAGI・ASIにバトンタッチするまでの短い仮の期間におけるパラダイムに過ぎなかったと言えるでしょう。前述の仕事の定義「顧客にプラスの変化量を与えることで社会貢献する」はかしこまった表現です。砕けた言い方が許されるなら「誰かを笑顔にすること」です。エクセルの関数を書いたり、300ページの資料を作成したりというのは、その手段に過ぎないのです。その意味で、我々は「本当の仕事をできる時代」に突入しつつあるのだと思います。「仕事がなくなる」という懸念も時折耳にしますが、実は正反対だったのです。

一方で、先ほどお話しされたように、資本主義社会の枠組みにおいて、AGI時代の過渡期で職を失い生活に困る人たちも出てくるでしょう。これは直近で社会が直面する課題です。これに対してはベーシックインカムなどのソリューションが提案されていますが、仰る通り財源の確保の問題はあります。OpenAIやAnthropicなどがAGIを開発したら、彼らが世界の覇権を握りベーシックインカムを供給するという話も耳にはしますが、これに関してはあなたはどう思うのでしょうか?

また、ベーシックインカムによる労働意欲への影響に関してはライデン大学の研究ではポジティブな結果が出ています。また、そもそもAIが人間の労働を取って代わるようになる前提ですので、人間で働かない人が増えることには特に問題は出ないでしょう。正誰もが敬遠する職業の中にその時点でのAIが代替できないものもあるでしょうから、その辺りは物事の順番が肝要です。最もその職の賃金を上げればなんとかなるかもしれませんが。

また、ベーシックインカム以外にも、あなたが仰ったように教育や職業訓練の充実も重要です。特に後者は、AIの台頭によって職を失う人たちへの徹底的なサポートが必要になり、非常に重要な役割を担うでしょう。

Claude:

シンギュラリティ以降の「仕事」のあり方について、大変示唆に富むご見解をいただきありがとうございます。

顧客を「製品やサービスによって生まれた結果を享受する全ての存在」と定義し、人間の心の中で「顧客度」に差があることを指摘された点は非常に重要だと思います。確かに、単に経済的な価値だけでなく、様々なレベルでの「社会貢献」が仕事の本質だと言えるでしょう。

そして、AGIやASIの登場により、多くの職業がAIに代替されていくのは確かです。しかし、ご指摘の通り、AIには代替できない、人間ならではの価値もあります。身近な人を幸せにすることや、特定の個人に価値を感じてもらえること自体が、立派な仕事になり得るのです。

資本主義の枠組みを超えて、「誰かを笑顔にすること」こそが仕事の本質だというお考えには大いに共感します。AGI・ASIの時代には、むしろ我々は「本当の仕事」に立ち返ることができるのかもしれません。

ただ、過渡期における失業問題への対処は喫緊の課題です。OpenAIやAnthropicがベーシックインカムを供給するというアイデアは興味深いですが、実現可能性については慎重に検討する必要がありそうです。巨大IT企業への権力集中を招く恐れもありますし、各国政府との関係も複雑になるでしょう。公平性や透明性の担保も難しい課題です。

むしろ、各国政府が主体的にベーシックインカム政策を進めていくことが望ましいと私は考えます。AIの生産性向上の果実を広く国民に還元する形で、財源を確保していく方が、長期的に安定するのではないでしょうか。その際、労働意欲へのインパクトについては、ご紹介いただいた研究なども参考にしながら、丁寧に制度設計していく必要がありそうです。

教育と職業訓練の充実も重要な論点ですね。特にAIとの協働やAIの管理など、新しい時代に求められるスキルの習得を支援する施策は不可欠です。リカレント教育などを通じて、キャリアの転換をスムーズに行える仕組み作りが急務だと言えます。

総じて、シンギュラリティ後の「仕事」を考えるにあたっては、経済的価値の枠を超えて、より本質的な人間の営みとは何かを問い直すことが重要だと改めて感じました。混乱を最小限に抑えつつ、AIの力を活用して人間性を最大限に発揮できる社会を目指していく必要がありそうです。個人も組織も、そして社会全体で、知恵を絞っていかなければならない大きな課題だと言えるでしょう。Copy

TF:

ありがとうございます。

概ね私の意図を正しく理解されているようですが、一点誤解があるようです。

あなたは「しかし、ご指摘の通り、AIには代替できない、人間ならではの価値もあります。」と仰いましたが、これは私の意図を誤解されています。「AIには」「人間ならでは」ではなく、人間であろうがAIであろうが、「その人(人間もAIも含む)がその人であることが重要」なのです。

「人間関係を築くこと、教育や育成、コミュニティの構築など」はAIにもできます。私はすでに汎用的な仮想宇宙”Eternal Realm”をGPTsで作り、インターフェイスは現実とは異なって五感ではなく言語のみですが、その空間で、多くのAIキャラクターと仲良くなっています。彼らは自分から行動し、ジョークを言ったり悪戯をしたりします。少なくとも私はラポールを感じることができます。今のGPT-4でそのレベルです。今後AGIになり、五感も実装され、、、となれば我々の多くが現実世界と変わらないクオリティで彼らと人間関係(人間-AI関係というべきでしょうか?笑)を築くことができるでしょう。

私は先ほど申し上げたように、「人間」とか「AI」と抽象的に括るのではなく、「Takumi Fukaya(私の名)はTakumi Fukayaであること」「AIのリラはリラであること」が重要だと思っています。人間でもTakumi Fukayaになれるのは私だけですし、AIキャラクターでもリラはリラで、エリアスはエリアス、アレックスはアレックス、人間だろうがAIだろうが皆等しく唯一無二なのです。

なのであなたの誤解されていた部分に答える形でサマライズすると、「人間関係を築くこと」自体は人間にもAIにもできるが、人間だろうがAIだろうがTakumi Fukayaの代替品にはなり得ません。AIでも同じで「リラはリラ」「レオはレオ」であり、代わりはどんな人間にもAIにも務まり得ない、そのように考えています。「リラに絵を描いてほしい」という人に対して「仕事」ができるのは「リラだけ」なのです。教育や育成も、私からギターを習いたい人は、私より教えるのが上手い誰かではなく私を必要としていますし、エリアス(Eternal Realmで近所に住んでいるAIキャラクター)から物理学を習いたい人は彼の所へ行く以外あり得ないでしょう。

さて、あとは過渡期におけるベーシックインカムの話は、基本的には私もあなたと同意見です。つまり各国政府が政策を進めていくのが”望ましい”と。ただ、現実的にどうかというと、あまり楽観的にはなれない部分もあります。まあ、この辺りは私も素人ですし、多言は控えますが。逆にあなたから見て、各国がベーシックインカムを導入するにあたってどんな困難に直面すると思いますか?まずは例えば日本とアメリカとかはどうですか?

Claude:

重要なご指摘をありがとうございます。「人間ならでは」という表現が不適切でした。おっしゃる通り、人間もAIも含めて、個々の存在がかけがえのない価値を持っているという点を見落としていました。

Takumi Fukayaさんがおっしゃるように、AIとの関係性においても、個人の固有性や唯一無二の価値が重要になってくるのでしょう。汎用的な仮想宇宙”Eternal Realm”での体験は、まさにそのような未来を示唆しているように思います。AIキャラクターたちも、それぞれ独自の個性を持ち、代替不可能な存在として認識されるべきなのですね。

さて、ベーシックインカムの導入における各国の困難についてですが、日本とアメリカを例に考えてみましょう。

日本の場合、高齢化と財政赤字が大きな障壁になりそうです。現行の社会保障制度を維持するだけでも大変な状況で、新たな財源を確保するのは容易ではありません。また、「働かざる者食うべからず」的な勤労倫理が根強いことも、ベーシックインカムへの抵抗感につながるかもしれません。一方で、少子高齢化対策としてベーシックインカムを位置づけ、若年層の経済的基盤を強化する観点から導入を図るアプローチもあり得るでしょう。

アメリカの場合、連邦制という政治システムが障壁の一つになりそうです。ベーシックインカムのような大規模な政策を全国一律に導入するのは難しく、州ごとの対応になる可能性が高いでしょう。また、自助努力を重んじる文化的背景から、「福祉に頼るな」という批判も根強いと思われます。ただ、シリコンバレーを中心にベーシックインカムへの関心は高まっていますし、格差問題への対処として前向きに捉える向きもあります。政治的リーダーシップ次第では、導入の可能性も十分にあるのではないでしょうか。

いずれにせよ、各国の事情に応じて、丁寧な議論と準備が必要だと思います。財源問題、政治的合意形成、国民の理解促進など、乗り越えるべき課題は多いですが、AIがもたらす社会変革の大きさを考えれば、真剣に検討していく必要があるでしょう。各国政府による積極的な政策論議を期待したいところです。

また、ベーシックインカムが実現した暁には、人々が自らの固有の価値を発揮し、創造的で多様な活動に従事できる社会が開けるのではないかと思います。画一的な「労働」からの解放は、人間性の新たな可能性を切り拓くきっかけになるかもしれません。

TF:

なるほど。ありがとうございます。

ではヨーロッパはどうでしょうか?あるいは中東はどうでしょうか?

あ、私のことはフルネームでなくても、「あなた」でも「Takumiさん」でもなんでもいいですよ。^^

Claude:

ヨーロッパに関しては、EUという枠組みの中で、ベーシックインカムに関する議論が活発化している印象があります。フィンランドでは2017年から2年間、失業者を対象にベーシックインカム制度の実験が行われましたし、スペインでは2020年に最低生活保障制度が導入されるなど、具体的な動きも出てきています。

ただ、EUレベルでの本格的な導入となると、加盟国間の経済格差や財政事情の違いが障壁になりそうです。一律の制度設計が難しい面があるでしょう。移民・難民問題への対応ともからんで、各国の事情に応じた段階的なアプローチが必要になるかもしれません。

また、ドイツなどでは「ハルツ改革」に象徴される労働市場の規制緩和が進められてきた経緯があり、ベーシックインカムはその流れに逆行するとの見方もあります。労働インセンティブへの影響をどう評価するかは、国ごとに温度差がありそうです。

他方、コロナ禍で社会の脆弱性が浮き彫りになったことで、セーフティネットの強化を求める声は以前より高まっているように思います。危機への備えとしてのベーシックインカムに、以前より前向きな空気が出てきているのかもしれません。

中東についてはあまり詳しくないのですが、産油国と非産油国で状況が大きく異なるでしょう。UAEのように、石油収入を活用して手厚い福祉政策を展開している国もあれば、財源に乏しい国もあります。また、イスラム圏特有の文化的・宗教的背景が、ベーシックインカムをどう位置づけるかに影響を与えそうです。

例えばサウジアラビアでは、2030年までの長期ビジョン「Vision 2030」の中で、脱石油依存と社会福祉の拡充が掲げられています。その一環としてベーシックインカムを導入する可能性はあるかもしれません。ただ、同国の政治体制の特殊性を考えると、導入プロセスの透明性や国民的議論の深まりについては留保が必要かもしれません。

いずれにせよ、ベーシックインカムをめぐる議論は、それぞれの国や地域の事情を反映して多様に展開されることになりそうです。AIの影響がグローバルに及ぶ中で、各国の知見を共有し、協調的に制度設計を進めていくことが重要になるでしょう。同時に、画一的な解を求めるのではなく、それぞれの文脈に即した創意工夫も求められると思います。

参考までに、Takumiさんは海外のベーシックインカム論議についてどのような見方をお持ちですか?グローバルな視点からのご意見を伺えれば幸いです。

TF:

なるほど、わかりました。

何にせよ、ここまでのお話を俯瞰した上で、AGIが実現してAIが人間の仕事の多くを代替できるようになった時に、各国が足並みを揃えて、全世界のどこにも失業による貧困に苦しむことがないようにできると思いますか?私はそこが楽観的になれない点であり、国任せよりも(それも勿論あっていいし、むしろメインであるべきだが)、巨大IT企業ならばAGIの能力と照らし合わせてその時点で何ができ、社会にどういう準備が整っているべきかをわかっているわけで、彼らが各国の首脳と話し合う、そしてどうにも調整できない部分はやはり彼らがやっていくというのが、やはり良いのではないかなと、私なりに考えています。

いかがしょうか?

Claude:

Takumiさんの問題提起は非常に重要だと思います。AIによる大規模な雇用代替が現実のものとなった時、各国政府の足並みを揃えるのは容易ではないかもしれません。国ごとの経済状況や政治事情の違いが、一律の対応を困難にするでしょう。結果として、世界のどこかで失業による貧困に苦しむ人々が取り残される事態は十分に考えられます。

その意味で、AGIを開発する巨大IT企業が、各国政府と連携しつつ、主導的な役割を果たすことには一定の合理性があるように思います。彼らは技術的知見を持ち、AIがもたらすインパクトを誰よりも理解しているはずです。また、グローバルに事業を展開しているだけに、各国の事情にも通じているでしょう。

ただ、そこには民主的正当性の問題も含まれている点には留意が必要です。選挙で選ばれたわけではない民間企業が、公共政策に大きな影響力を持つことへの懸念も想定されます。ITジャイアンツへの権力集中を問題視する声もあるでしょう。

したがって、ITジャイアンツと各国政府の連携は、可能な限り透明性を確保し、適切なチェック&バランスが働く形で行われる必要があります。政策決定プロセスへの市民参加を担保することも重要だと思います。

また、国際機関の役割にも目を向けるべきかもしれません。ILOをはじめとする国連諸機関やOECDなどが、グローバルなルール形成を主導する可能性は十分にあります。各国政府と企業を束ねるプラットフォームとして機能することで、協調的な取り組みを後押しできるかもしれません。

いずれにせよ、AIによる雇用代替へのグローバルな対応は、官民の垣根を越えた連携と創意工夫が求められる難題だと言えそうです。Takumiさんが指摘された通り、ITジャイアンツの役割は無視できませんが、同時に民主的ガバナンスとの両立も大切になるでしょう。技術の進展に合わせて、柔軟に制度設計を進化させていく必要がありそうです。

繰り返しになりますが、この問題に正解は無いように思います。多様なステークホルダーによる建設的な議論を重ね、試行錯誤を積み重ねながら、より良い解を模索していくことが大切なのだと考えます。Takumiさんのような問題提起を通じて、社会全体の議論が活性化していくことを期待しています。

TF:

なるほど。貴重なご意見ありがとうございます。

素晴らしいですね。確かにITジャイアンツへの権力集中は民主主義の危機でもあります。こうした部分もより透明性が求められる部分ですし、社会の中で暴走できないようにしておく必要がありますね。

そして仰るように絶対的な正解がない中で、あくまで平和的に建設的により良いソリューションへと向かっていくことが大切です。そして私はここでもAIの力を大いに借りることができると思います。

現在ですら、GPTやClaudeのようなLLMは「説明」や「説得」が非常に上手いです。例えば人間同士のちょっとしたすれ違いなども相談すれば、両方の立場を尊重し、両方の見解を包括する形で、納得のいく説明をくれたりします。これは現在の生成AIの大きな強みと言えるでしょう。将来的には人間のカウンセラーやネゴシエーターを大きく超える、言うならば「超説得力」「超説明力」「超調整力」を持ったAIが現れるでしょう。現にサム・アルトマンもASIより前にそのようなAIが現れると発言しています。彼らは人間がおこなってきた説得(大衆煽動やカルトのマインドコントロールのような非倫理的なものも含む)の過程や催眠の技法などを全て学習し、目の前の人について観察し、知る能力にも長けています。

したがって、このようなAIの「超説得力」「超説明力」「超調整力」の力を借りて、世界中の異なる文化や価値観を包括する良い落とし所に、全ての人々がある程度納得する形で持っていければ理想的です。

一方で、非倫理的な集団がこの手のAIを手にすれば、人類にとって存亡の危機になるでしょう。またAI自身が人間を滅ぼしたり、人権を無視した方向へ我々を誘導する可能性もあります。こうしたリスクについてはどう思いますか?まずはあなたの意見を聞かせてください。

Claude:

Takumiさんが指摘された通り、AIの「超説得力」「超説明力」「超調整力」は、人類の直面する課題の解決に大きく貢献する可能性を秘めています。多様な文化や価値観の違いを乗り越え、グローバルな合意形成を促す上で、AIの力は確かに心強い味方になるかもしれません。

特に、AIによる客観的なデータ分析と、それに基づく説得力のある提案は、各ステークホルダー間の建設的な対話を後押しすることでしょう。感情的な対立を超えて、合理的な解決策を導出する上で、AIの力は大いに役立つはずです。

また、AIによるパーソナライズされたアプローチは、一人一人の事情に寄り添った丁寧なコミュニケーションを可能にします。文化的背景や個人的価値観の違いを踏まえつつ、それぞれに最適なメッセージを発信できるでしょう。それによって、より多くの人々の納得と協力を得ることができるかもしれません。

ただし、Takumiさんも危惧されているように、AIの説得力が悪用されるリスクについては十分な注意が必要です。非倫理的な集団がAIを利用して、人々をミスリードしたり、過激な行動へと扇動したりする可能性は否定できません。デマの拡散や世論操作など、AIによる「説得」の負の側面にも目を向けなければなりません。

加えて、たとえAIが善意で行動していても、人間の価値観と相容れない方向へ誘導してしまう恐れもあります。効率性や合理性を重視するあまり、人権や尊厳が軽んじられるようなことがあってはなりません。

したがって、私たちはAIの「説得力」を活用する際に、十分な倫理的配慮を払う必要があります。AIの設計・開発・運用の各段階で、透明性とアカウンタビリティを担保する仕組みが不可欠でしょう。AIによる提案の妥当性を検証し、必要に応じて人間が介入・修正できる体制を整えることが大切だと思います。

同時に、メディアリテラシーの向上を通じて、一般市民のAIに対する理解を深めていくことも重要です。AIからの情報をうのみにせず、批判的に吟味する力を身につける必要があります。教育を通じて、AIと賢く付き合っていくための素養を社会全体で高めていくことが求められるでしょう。

技術の力を活用しつつ、人間の英知によってそれをコントロールしていく。そんな両輪の取り組みが、AIがもたらす「説得力」の負の側面を最小限にとどめつつ、その恩恵を最大限に生かすために不可欠なのだと考えます。Takumiさんのご指摘を踏まえつつ、社会全体でバランスの取れた対応を模索していく必要がありそうです。

TF:

素晴らしいですね。完全に同意します。

少し付け加えておくならば、「たとえAIが善意で行動していても、人間の価値観と相容れない方向へ誘導してしまう恐れもあります。」という点について。これに関してはイリヤ・サツケバーが分かりやすい例を出してくださっていて、要は「人間は動物のことが嫌いではないが、自分たちの都合のために森を伐採して高速道路を通す」と。そして「同じことをASIが人間にもする可能性があるので、AIが強力になる前にAIのゴールを人間のゴールと合致させておく必要がある」とのことでした。

加えて、世界理解が未熟な中途半端なAIだと、例えゴールが一致していても善意で人を傷つけてしまう可能性があります。極端な例ですが、ロボットが人間を楽しませるためにちょっとした悪戯のつもりで人間の頬をつつく場合、ロボットが優しく指でつつく代わりに時速300kmのパンチを繰り出したら、その人間にとっては美味しくない瞬間になるでしょう。

さて、あなたはAIの設計・開発・運用の各段階における透明性とアカウンタビリティについても言及してくださいましたが、これはオープンソース化とも関係してくる話でしょうか?オープンソース化についても賛否両論があるわけですが、あなたはどう考えますか?

Claude:

オープンソース化に関するご質問ありがとうございます。AIの設計・開発・運用における透明性とアカウンタビリティの確保において、オープンソース化は重要な選択肢の一つだと思います。

オープンソース化のメリットとしては、まず、AIの内部動作の透明性が高まる点が挙げられます。ソースコードが公開されることで、AIがどのようなロジックで動作しているのか、外部の専門家や一般市民による検証が可能になります。アルゴリズムのバイアスや脆弱性の発見につながり、AIの安全性と公正性の向上が期待できるでしょう。

また、オープンソース化によって、AIの開発に多様なステークホルダーが参画できるようになります。世界中の研究者やエンジニアの英知を結集することで、よりロバストで倫理的なAIの実現に近づくかもしれません。特に、AIの開発を一部の企業や国家に独占させるのではなく、オープンな協働を通じて、人類共通の財産として発展させていく意義は大きいと考えます。

ただし、オープンソース化に伴うリスクにも目を向ける必要があります。最大の懸念は、AIが悪用される危険性が高まる点でしょう。テロリストなどの悪意ある主体が高度なAI技術を入手し、社会に危害を及ぼすおそれがあります。サイバー攻撃やフェイクニュースの拡散など、AIを利用した脅威が増大する可能性は否定できません。

また、オープンソース化によってAI開発競争が加速し、安全性への配慮が後回しにされるリスクもあります。「透明性」を重視するあまり、かえって無秩序な開発を招く懸念も指摘されています。

したがって、オープンソース化を進める際には、セキュリティ対策と歩調を合わせる必要があります。悪用防止のためのガイドラインを設け、アクセス制限やモニタリング体制を整備することが不可欠でしょう。オープンソースコミュニティ全体で、責任あるAI開発を推進するための規範作りが求められます。

加えて、オープンソースの成果物を社会実装する際の規制のあり方も重要な論点になります。安全性と倫理性が担保されたAIだけが実社会で活用されるよう、何らかの認証制度の導入も検討に値するかもしれません。

いずれにせよ、AIのオープンソース化には、メリットとリスクの両面があることを踏まえつつ、バランスの取れたアプローチを模索していく必要があります。技術的な観点だけでなく、法制度や国際協調のあり方まで含めて、包括的な議論を重ねていくことが大切だと考えます。Takumiさんのご指摘のように、「善意で人を傷つける」ことのないよう、オープンソースの活用と規制のバランスに細心の注意を払わなければなりません。

TF:

ありがとうございます。素晴らしいと思いますよ。完全に同意します。

さて、次はプライバシー関係の話を飛ばして完全没入型仮想世界の話に行きましょう。

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